※本エッセイは2022年10月3日にAPRIN関係者用のメルマガで配信された記事を当時の内容で掲載しています。
最近、我が国を代表するような大企業において、データ不正事件が後をたちません。正に底なしの感があります。戦後、創造的で社会的責任感を備えた経営者が輩出し、そのもとで優れた技術者が心血を注いで生み出した工業製品は世界を席巻し、高い評価を得ましたが、現在ではその評価が急速に低下しています。
このようなデータ不正が何故最も避けるべき事柄であるかを以下で考えてみます。
技術者はあまり意識していませんが、技術と社会は深い関わりがあり、技術は場合によっては社会を変えてしまうほどのパワーを秘めています。18世紀の産業革命以来、世界は技術とそれが生み出す人工物に支配された歴史であるといっても過言ではありません。工業化がもたらした資源と市場を巡る争いは、第1次世界大戦や第2次世界大戦を引き起こす主要な原因となりました。現在では、第3次産業革命(人により、現在は第4または5次という)といえる情報革命によって、世界は大きく変化しています。情報化はグローバル化をもたらし、私たちの社会を一変させました。私が生まれた77年前には想像もつかなかった世界です。
このような技術とそれが生み出す人工物は、私たちに便利さ、高い効率性、豊かな生活を提供しましたが、一方では戦争に象徴される争い、精神生活の貧困さ、格差、地域や地球規模の環境破壊など、深刻な負の影響ももたらしました。このことは、高度な技術を持ち、生産に携わる技術者の社会的責任の大きさを示唆しています。我が国の多くの工学系学協会ではこの重大さに気づき、今から20年ほど前の西暦2000年頃に「倫理規定」を制定し、技術者のあるべき姿を指し示しました。その中では、公共の福利、安全が最も高い価値を持つ項目と位置付けられています。人工物の安全性は、適正なデータによって担保されます。「倫理規定」において、公共の福利や安全が最も高い価値を持つ、という理念から考えてデータ不正は最も避けるべき事柄でしょう。
安全性を脅かす最も大きな要因であるデータ不正が生じる背景には、様々な要因があると言われています。例えば、会社ぐるみで無理な製品開発を行う、営業が過大な性能を提示して契約を獲得し生産現場に要求する、長年の悪い慣習を是正できない、納期のプレッシャー、技術者・技能者が会社のためと誤解してデータ改ざんする、企業風土、集団思考による同調圧力、などです。このようなデータ不正続出の背景には企業経営の問題がある場合が多く、従業員である技術者のみでは解決できないことがあります。実際、問題意識を持っている技術者も多いようで、2021年11月にAPRINが主催した「技術倫理セミナー」のアンケートでは、組織と技術者の関係に関する教材作成の要望が多く寄せられました。
データ不正が次々と出てくるようになったのは、2006年に施行された「公益通報者保護法」の効果が大きいように思われます。データ不正が明るみになったときに、直ちに安全性には影響しない、というような発言が企業トップから出てくることがありますが、このような発言こそが、データの持つ価値や公衆に対して保証すべき安全性を認識していない証拠と言えます。
ところで、深刻なデータ不正を起こした企業が東証プライム市場から一時的にでも退場することなく、そのまま留まっているのは何故でしょう。このプライム市場は3つの要件により上場できるようですが、CSR(企業の社会的責任)の要件が見当たりません。CSRは利潤追求ばかりでなく、社会に存在する企業としての責任を社会全体に対して果たすことを言いますが、この概念は今や世界のスタンダードです。我が国の産業界も言葉だけでなく、CSRの実態認識を持って早急に実行すべき時が来ていると思われます。
一方で、産業界を支える技術者の人材育成はどうでしょうか。政府は、理工学系学生の割合を50%にする施策を打ち出しています。問題はそれ以外にもあって、高等教育機関を卒業してからの専門能力・資質(PC、Professional Competencies)開発に力が注がれていません。安定した職業に就いていない割合がとても高い第2次ベビーブームの人たち(団塊ジュニア)を、今になって慌てて支援しようとしていますが、40歳代半ばになって専門能力を身につけるのは不可能です。我が国は、高等教育機関を卒業して戦力として働けるようになる30代半ば頃までの期間の若手人材の育成制度が欠落しています。技術士制度では、この若手を対象とするIPD(Initial ProfessionalDevelopment、初期専門能力開発)の重要性が認識されるようになってきました。その制度では、これまでのような技術に関する専門的知識のみでなく、技術者倫理を重視する7つのPC(専門的学識、問題解決、マネジメント、評価、コミュニケーション、リーダーシップ、技術者倫理)が求められています。早急に制度化して実施すべきです。
我が国の産業界の復活には、多くの改革すべき事柄があります。我が国の工業製品によく見られる単なる高機能化や多機能化ではなく、真に世界をリードする品質の人工物の生産、そのための科学研究や技術開発への投資、高い専門能力・資質を備える若手人材の育成、そしてCSRを正確に認識しグロ―バルな視点で活躍・経営できる企業人、が求められています。
(APRIN関係者向けメルマガ配信日:2022年10月3日)
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